『はーとふる農園 愛川』のある町ってどんなところ!?

『はーとふる農園 愛川』は、神奈川県愛甲郡愛川町のほぼ真ん中にあります。周囲を広大な田畑が広がり、西方に丹沢山塊の仏果山を最高峰とする山並みが連なる、とても素敵なところにあります。
愛川町は、神奈川県の県央北部に位置する人口4万人の町。都心から50キロ圏内で、近くを圏央道が走っており、都心から約1時間とアクセスのよい自然豊かな美しい町です。
今回は、『はーとふる農園 愛川』のある愛甲郡愛川町をご紹介したいと思います。

まずは、300万年前、愛川町には象がいたそうです。「神奈川県立あいかわ公園愛川町郷土資料館」には、古代象の化石標本(レプリカ)が圧倒的な存在感で展示されていて、一見の価値ありです。

愛川町古代像レプリカ

300万年前の愛川町には象がいました。来館していただくと、エントランスホールで、人の背丈よりも高い古代象の化石標本(レプリカ)が皆様を迎えます。

https://www.town.aikawa.kanagawa.jp/shisetsu/bunka/1427771495906.html 愛川町HPより

時代は戦国時代まで進みます。農園の付近を通る「三増合戦みち」を北西に1km程辿ると、戦国時代の古戦場「三増-みませ-合戦場跡(愛川町指定史跡)」があります。

愛川町三僧合戦場跡

永禄12年(1569)10月、甲斐の武田信玄は総勢2万の兵を率いて北条氏康の小田原城を包囲攻撃しますが、攻略することはできず、帰路を三増峠(みませとうげ)にとりました。これを察知した氏康は幕下の将兵2万を三増に進出させます。10月6日、三増山地一帯の武田陣に対し北条軍は随所に出撃し激戦となりました。緒戦は北条軍有利に展開しますが、武田方遊軍が背後から挟撃すると、北条軍は総くずれとなり敗走しました。『甲陽軍鑑』には、戦死者は北条方3,269人、武田方900人と記されています。関係史跡として今日に伝わるものに、信玄の旗立て松・浅利信種墓所・首塚・胴塚などがあります。

https://www.town.aikawa.kanagawa.jp/kyouiku_sports_bunka/bunka/bunkazaihogo/bunkazai/index.html 愛川町HPより

愛川町観光協会HPには、『はーとふる農園 愛川』付近をとおる散歩コース「三増合戦史跡めぐりコース」が紹介されています。
ぜひ、散歩コースにチャレンジしてみませんか!? その際は、すこし寄り道して『はーとふる農園 愛川』にもぜひお立ち寄りください。

https://www.town.aikawa.kanagawa.jp/aikawa_kankoukyoukai/kanko_map/1529544126434.html  愛川町観光協会HP 「愛川町歴史散策・町歩きハイキングマップ」

「愛川町」で検索して愛川町ホームページにアクセス。ホーム>愛川町観光協会>観光マップ・ダウンロード>愛川町歴史散策・町歩きハイキングマップから、パンフレットをダウンロードできます。